2018年1月30日火曜日

記憶のあやふやさ。加藤の乱、河東の乱、河東一乱

2000年の11月に加藤の乱というのがありました。
当時の与党自民党森喜朗首相に対し、野党から不信任案が提出されましたが、これに対し与党自民党の加藤紘一議員と山崎拓議員が賛成する動向を見せたのです。
与党の中からの反乱です。
加藤派45人と山崎派19人の計64人の造反により、内閣不信任案可決で、森内閣が倒れるかもしれない!これは大ニュースです、当時のボクはドキドキしましたですよ。

で、その当時の記憶なんですが、、、
勤め人だったボクは珍しく定時上がりで帰宅して帰宅してTVにかじりついたという思いで。あの時は萌えたなぁ、会社を定時で速攻上がって新聞各紙買ってTV見たなぁ。

そう思ってました、そう記憶してました。

しかし、当時のメモを見てみると、、、
2000年は起業していた時期で、音声合成なんちゃらとか楽曲配信なんちゃらとかを、自事務所か自宅でやってるんです。勤め先を定時上がりしてなんてまったくあり得ない時期で、たぶんその日は自宅に居たっぽいんです。

なんで、あり得ない記憶があるんだろ??
ヤバイなおいら、大丈夫かおいら……

当時のTV放送画像がyoutubeにあったので、みてみました。

大将なんだから!


ああ、この動画観て、さらに記憶違いに気づいた。。。
『大将なんだから』と言っていたのは、
記憶では山崎拓議員だったのに、実際は谷垣禎一議員でした。

ヤバイなおいら、大丈夫かおいら……


閑話休題
なんで、加藤の乱2000をいまさら思い出したのかですが、
実は「河東の乱1536-1545年」について調べていて、Web検索したら「加藤の乱2000年」が出てきて、なつかしいなぁと思い、見てみたら、あれ記憶と違うぞと、、、そんで慄いたというわけです。
で、この河東の乱(かとうのらん、河東一乱とも云ふ)ですが、天文5年から天文14年に起きた駿河の戦乱です。今川義元と北条氏綱・氏康の富士川以東における勢力争いで、この時期の今川・武田・北条の関係がよく解る興味深い出来事です。歴史に興味ある方は是非調べてみて下さい。面白いですよー

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