ボクは、キムチが好きです。
(というか、辛いもの全般が好きです。)
ボクがキムチを食べるようになったのは大学1年生の冬以降です。(山に登った時にキムチ鍋を作って食べたんですが、ホントに美味しかった。それがきっかけでキムチを食べるようになりました。それ以前はほとんど食べた事なかったです。)
昔は(日本では)、キムチってそんなにメジャーな食べ物ではなくて、焼肉屋で出す所もあるって程度のものだったと記憶しています。キムチという名前自体も普及してなくて、単に朝鮮漬と呼ばれてました。日本でメジャーな食品になったのは、桃屋のキムチの素が発売(1975年)されて、さらに激辛ブーム(1986年位)が到来したあたりからじゃなかったかな。それが今ではスーパーに何種類も置いてあって普通に買えます。というか普通の漬物よりキムチの方が多い位で、日本に完全に定着した感がありますね。
激辛といえば、ローカルな話かもしれないけど、台湾ラーメンも流行ったなぁ、味仙の台湾ラーメン、あれはホントに美味しかった。又食べたいなぁ。。。(台湾ラーメンっていうのは、担仔麺をめちゃ辛くしたラーメンの事で、味仙という台湾料理屋が発祥です。このラーメンは、味仙の創作メニューでして、台湾には無いそうです。)
まあ、そんなわけで、辛いもの好きなボクは唐辛子にはけっこう興味があります。それなりに調べた事もあって、『唐辛子はもともとアメリカ大陸原産で、コロンブスの新大陸発見(1493年)以降に世界に紹介され、あっという間に世界中に広まった』とか書いてある本を、興味津々で読んだりしてました。(栽培方法とか品種とか、世界各国の食し方とか、調べてみると けっこう面白いですよ。)
最近韓国で、唐辛子関係の新発見があったそうです。韓国には、アメリカ大陸発祥で無い、アジア固有の唐辛子っていうのがあり、それを昔から使っていた可能性があるかもしれないそうです。(棒読み)
なんだかすごい話ですね。(棒読み)
スパイス王国のインドですら、唐辛子は16世紀に伝来したって言っているのに、寒冷な東アジアに昔から唐辛子があったんだとしたら、大発見ものです。(棒読み)
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「唐辛子、朝鮮初期にもあった」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=111578&servcode=400§code=400
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中央日報 関連タグ 唐辛子 壬辰倭乱 コチュジャン
韓国の辛味を象徴する唐辛子が、壬辰倭乱(イムジンウェラン=文禄慶長の役、1592~1598年)当時、日本を通じて入ってきたという通説とは違い、それ以前の朝鮮初期に韓半島に存在したという主張が提起された。
韓国食品研究院のクォン・デヨン博士チームと韓国学中央研究院のチョン・ギョンラン責任研究員は、韓国食品研究院が18日に発刊した季刊誌『韓国の味・ハンオル』で、唐辛子の日本伝来説を古文献分析を通じて否認する研究結果を発表した。
唐辛子の「日本伝来説」はイ・ソンウの『高麗以前の韓国食生活史研究』(1978年)で紹介されて以降、通説として受け入れられてきた。このため壬辰倭乱以前のキムチは唐辛子が入っていないキムチしかなかったといわれてきた。今回の研究結果によると、世宗15年(1433年)の文献である『郷薬集成方』、世祖6年(1460年)に発刊された『食療纂要』にコチュジャンを意味する“チョジャン”(椒醤)という単語が出ている。
椒が現代の唐辛子を意味するかが問題となるわけだが、これを立証する記録が古文献に多数扱われているということが研究チームの分析だ。壬辰倭乱勃発100年前の成宗18年(1487年)に発刊された『救急簡易方』には漢字の椒にハングルで「コチョ」と明記され、中宗22年(1527年)の『訓蒙字会』でも「コチョ椒」が明記されているというのだ。
「淳昌(スンチャン)チョジャン(淳昌椒醤)は全国的によく知られている」という表現も1670年代以降の文献に出ているので「チョジャン=コチュジャン」ということで異論はないと研究チームは主張している。
「日本伝来説」での核心は、コロンブスが中央アメリカからアヒ(aji)という唐辛子をヨーロッパに伝え、日本を経て朝鮮→中国→インドに伝わったというものだ。クォン博士はこれに対してコロンブスが持っていったというアヒ(aji)という唐辛子は、韓国固有の唐辛子とは違うということを生物学的、農耕史学的理由を挙げて説明した。
研究チームは唐辛子とコチュジャンが中央アメリカではない中国にかなり前から存在したという中国古文献の記録を提示した。中国の唐の宣宗(850年)のときに発刊された『食医心鑑』には鶏肉関連の食べ物を説明した際「チョジャン」(椒醤)という表現が使われている。
クォン博士は「唐辛子が中央アメリカと日本を通じて韓半島に入ってきたということに疑問を持ち、15年前からこの問題を研究してきた」とし「人類学会と食文化学会で討論を提案、6月ごろ行う計画だ」と話している。 中央日報 Joins.com
2009.02.19 12:14:52
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【噴水台】キムチ・ミステリー
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=111671&servcode=100§code=120
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中央日報 関連タグ 噴水台 キムチ 唐辛子 壬辰倭乱 料理
私たちはいつから辛い唐辛子を食べていたのだろうか。 昔、ハルモニ(おばあさん)たちは話していた。 「倭奴が初めに唐辛子を食べたが、これが毒だった。 それで朝鮮の人たちを殺そうと壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、唐辛子の種をばらまいた。 ところが朝鮮の人にとっては毒どころか、口によく合って広まったのだ」
唐辛子が16世紀末に日本から伝えられたというのは学界でも定説だった。 しかし韓国食品研究院のクォン・デヨン博士チームが反論を提起した。 「詩経」や3世紀の文献である「三国志魏志東夷伝」以後、椒という植物が数多くの文献に登場し、崔世珍(チェ・セジン)の『訓蒙字會』(1527)にもこの字の意味が「唐辛子の椒」と記録されてあるなど、昔から韓国には固有種の唐辛子があり、広く食用として使われたということだ。
これまで唐辛子の導入時期を記録した最も重要な文書は李ス光(イ・スグァン)の『芝峰類説』(1614)に出てくる「南蛮椒は毒があり、倭国を通じて入り、倭芥子とも呼ばれる」という部分だった。 しかしクォン博士は南蛮椒と倭芥子はともに私たちが食べる唐辛子(椒)とは異なる植物だと主張した。 過去の研究者らが、1492年にコロンブスが新大陸で発見した唐辛子と韓国産の唐辛子は全く違う品種である可能性を排除するミスを犯した、と指摘した。
韓国人の味覚を勘案すると、16世紀以前にも唐辛子があったとしても驚くことではない。 ただ、それでも気がかりなのは、各種食べ物、特にキムチに使用した記録がなぜあまり見られないのかという点だ。 1670年に登場したハングル料理書『飲食知味方』に出てくる数多くのキムチの中でも、唐辛子を使用したものは一つも見られない。 19世紀の文献『閨閤叢書』(1809)に出てくるキムチの中でも、ほとんどの種類には粉トウガラシではなく千切りの唐辛子が入るだけだ。
『韓国料理、そのおいしい誕生』の著者キム・チャンビョルは、1933年に朝鮮中央日報に掲載された「私たちはみんな唐辛子中毒者だ」という記事を引用し、真っ赤な食べ物の流行はそれほど古いものではないと主張した。 この記事は「一日三食のおかずがすべて唐辛子で味付けされ、食べ物の味までもすべて唐辛子の味に変わってしまった」とし、当時の風潮を慨嘆する内容だ。
これに対しクォン・デヨン博士は「唐辛子は塩に劣らないほどキムチの長期保存に絶対的な条件」とし「キムチに唐辛子が使われたのは現在知られている時代よりもはるかに早かったということを証明してみせる」と意欲を見せている。 果たして韓国人の辛いもの好きは半万年の歴史に照らしてみてこの100年ほどの流行なのか、それとも綿々たる伝統の結果なのか。 研究結果が実に期待される。
ソン・ウォンソブJESエンターテイメントチーム長/中央日報 Joins.com
2009.02.21 12:52:16
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「唐辛子、秀吉が持ち込み説」覆す 韓国研究所
http://www.asahi.com/international/update/0220/TKY200902200282.html
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朝日新聞 2009年2月22日6時0分
【ソウル=牧野愛博】唐辛子は日本から豊臣秀吉が持ち込んだものではない――。韓国食品研究院は19日付で、こんな研究結果を発表した。
同院は、15年にわたって国内外の数百件の文献を研究。これまで唐辛子は秀吉によって、1592年に起きた第1次朝鮮出兵のときに朝鮮半島に持ち込まれたと信じられていたが、それ以前に発刊された「救急簡易方」などの文献に、唐辛子を意味する言葉が残されていたという。
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